2019年2月14日木曜日

小豆島の姉妹島、ミロス島人たちと交流

小豆島(香川県)を訪れたミロス島からの友好使節団
(到着した7日)   訪問団とたどって小豆島も紹介していきます。

今月7日から10日に小豆島を離れるまで、島民同士の交流か各地で繰り広げられました。ミロスの人たちはそれぞれの場所でユニークな体験をし、「お金に代えられない経験に感謝します」と話していました。
到着した7日、荷ほどきをすませると、土庄町役場前にある小豆島本島と前島を隔てるギネスブック認定世界一狭い海峡「土渕海峡」を〝渡り〟、土庄町の三枝邦彦町長から証明書をお土産の扇子とともにプレゼントされました。その後みんなで記念撮影。あいにくの曇り空でしたが、皆は晴れやかな笑顔でした。
土渕海峡が世界一に認定される前の世界一はギリシャのエーゲ海側、エヴィアス島とハルキザという町を隔てる幅40メートルの海峡でした。これは何かの縁でしょうか。
土渕海峡

土渕海峡地区には2006年、6月10日、日本ギリシャ協会設立30周年の際に土庄町に贈られたスズカケの木が記念植樹されていて、さらにギリシャとの関係の深さを訪問団にアピールしました。
シンパクとしては日本一の大きさ樹齢を誇る「宝生院のシンパク」を見学。寺詣での作法なども体験しました。
参拝の作法を学ぶ。背景は国指定天然記念物「宝生院のシンパク」樹齢は1600年とも


小豆島にある高さ約65メートル、内部にエレベーターを備えた「小豆島へ大観音」ではお茶や護摩供養を体験。護摩札を焚く炎と読経に頭を垂れる姿は、国教を超えた信じ深さを感じました。正座はできないものの、厳かな雰囲気に足はつかれましたが「とてもユニークな経験をした」と大変、感動していました。
お茶とともにユニークな体験

この日の夜、歓迎レセプションが開かれ、式典後は和太鼓の演奏で始まり、ギリシャの民俗音楽やダンスが疲労されました。小豆島の人たちを感動させたのは、2011年以来、相次いで日本を襲った自然災害に心を痛めたミロスの人たちが、東日本大震災を機に、災害復興を願って歌われ続けている「花は咲く」を歌った時です。美しいハーモニーもそうですが、一つ一つの歌詞をていねいに、きれいな日本語で歌ったのです。2か月間練習をしたそうで、ステージで歌った子供たちだけでなく、同行した大人たちも口すさんでいたことから、その練習の大変さがうかがえます。
日本を襲った自然災害に心を寄せて歌った「花は咲く」
 


来訪を歓迎して、オリジナルのデザインで作成したトートバッグ、がま口、ピンバッジを中心に様々なプレゼントがミロスの人たち全員に贈られました。
この日のために制作したオリジナルデザインのプレゼント

2019年2月13日水曜日

小豆島t姉妹島交流するミロス島から訪問団が到着

2月6日、ミロス島からの友好使節団が関西国際空港に到着
一行36人は、その多くが3日にミロス島を出発し、アテネで1泊して5日、ドバイ経由で空路関空を目指しました。このうち13人は2016年、小豆島からミロス島を訪れた友好使節団を受け入れホームステイでもてなした家族の子供たちです。お互いの使節団は小豆島を印象付けた小説や映画にちなみ「二十四の瞳友好使節団」としています。今回は同行した7人を含む20人の子供と両親やミロス市の副市長、市会議員など大人16人です。
関空で出迎えた際、皆は疲れを見せず、久しぶりの再会をハグやキスで喜びを倍増させました。高松へ向かうバスの中で、当面必要で大きな違いのある日本の習慣を説明し、和やかでにぎやかな時間が進みましたが、さすがに明石大橋をすぎると居眠り。バスの揺れに舟を漕ぐ大人たち・・・。
高松港近くに投宿。
翌日は、小豆島国際友好協会(SIFA)が手配したトラックにスーツケースを積み込むと、徒歩で港に向かい、フェリーで小豆島を目指しました。船内では今か今かと、見慣れているはずの海に何度も目をやる人たち。今回の参加者は全員が初めて、小豆島をあるいは日本を訪れたので、興味津々です。
そして、いよいよ小豆島観光の玄関口、土庄港。岸壁ではSIFA関係者やこれまでにミロス島を訪れたことのある人、何より子供たちを受け入れる家族がギリシャ国旗を振りなが「いらっしゃい、ようこそ」「カロス イリサタ」などと声を張り上げて出迎えました。
フェリーからは満面の笑顔で、日の丸の小旗を振ってこれに応えていました。
関西国際空港に出向和え、再会を喜ぶ
高松のホテル、長旅の疲れを取るのは部屋割りのあと

一夜明け小豆島へ最後の旅程。すでにこれまでで4日間

ギリシャ国旗を振って出迎え

両国の国旗を手に歓迎を訪問の挨拶が行き交う

小豆島(香川県)ミロス島(ギリシャ)姉妹島、使節団が小豆島へ プロローグ

小豆島は、ギリシャ・ミロス島と姉妹島です。
ルーブルに展示されている「ミロのヴィーナス像」はこの島で1820年に農夫セオドール・ケントロータスが畑を掘っているときに発見、その後、フランスへ運ばれました。現在、ミロス市はその返還を求めて運動を展開しています。
小豆島がミロス島と姉妹関係を結んだのは30年前に遡ります。地中海ウミガメ保護協会の創始者で現在も会長を務めるリリー・ベニゼロスさんが、友人から見せられた小豆島のある神社の釣鐘の吊り金具の飾り、蓮の花びらをウミガメと見間違えたことが発端です。ともにウミガメを大切に思うもの同志で仲良くしませんかと持ち掛け、キクラデス諸島のミロス島を提案、小豆島では当時の3町が香川県の指導の下、小豆島国際友好協会(SIFA)を発足させて交流に備えました。
1989(平成元)年、ミロスからの訪問団を迎えて調印式を挙行、翌年はミロスを訪れて同様の式典を営んで、両島の絆は結ばれました。以来、30年を迎え、ギリシャと日本の修好条約締結120年と符合するかのような良い年を迎えたのです。
一つの勘違いから始まった交流が30年を超えて続こうとしています。多くの姉妹都市交流が真に共通の要素を共有することで結ばれている中、奇跡です。
リリー・ベニゼロスさんのはがき」



返還運動に賛同・支援を求め、ウェブ署名を集める運動

小豆島のお盆の民俗行事、夜念仏が解散

小豆島(香川県)土庄町に江戸期から伝わるお盆の民俗行事「夜念仏」が解散

夜念仏とは、お盆の夜、亡くなった人の霊を慰めようと、集団で家々を巡って、独特の「念仏」を唱える民間信仰、民俗行事です。江戸期は全国的に行われていたのですが、現在ではほとんどの地域で行われなくなりました。一つの町に4カ所で行われている土庄町は、全国でここだけです。
このうち、この度解散することになった肥土山地区の「肥土山夜念仏連中」は白装束がいわゆる死に装束で白地の着物に帯、手甲、脚絆、草履の鼻緒、に至るまで白色で白い手拭いで頭を覆い、菅笠をかぶった姿です。
帯には板の先に鉦を取り付け、「念仏」を唱えるときにチーンと叩きます。哀愁を帯びた連中の
声が静かに迎える家族の心に沁みるのです。
この地区では、前年から当年の6月末までに亡くなった、いわゆる新仏のある家を巡り、その人が男性なら「善光寺」、女性なら「十九夜」という念仏を唱えます。不幸にして子供を亡くしたりかつては戦争で亡くなった、そんな人達にはそれぞれの念仏がありました。巡り歩く途中に橋や川、墓があればそこでもそれぞれに応じた念仏を唱えます。この連中のメンバ-は多い時で11人いましたが、高齢化や後継者がいないことなどが大きな原因で、1月29日、会合を設けて、残念ながら、解散するという結果になりました。20年前には小豆島全体で8カ所、行われていました。
肥土山地区は、民俗行事多く残っていて、農村歌舞伎は最も知られています。
新仏のある家々を巡って「念仏」を唱える夜念仏連中。しんみりとした空気が漂う

白一色の衣装で、家々を巡る

途中の川や橋、墓などではそれぞれの念仏を唱える


2019年1月28日月曜日

ギリシャ・ミロス島から

小豆島と姉妹島提携している、ギリシャ・ミロス島から、友好使節団がやってきます。
一行は添乗員を含み36人。2月6日に到着し、高松市内で1泊した後、7~9日まで香川県の小豆島でホームステイや島内見物、地元の人たちとの交流を重ねます。
1989年の提携以来、相互に訪問をして交流を重ねている両島の関係は今年、30周年の節目の年を迎えます。小豆島からは2016年、中・高生13人がミロス島を訪問しています。今回はその時にお世話になった人たちの家族などを各家庭がホームステイ先として受け入れるなど、寒い時期ですが温かい交流が培われそうです。
ミロのビーナスが発見された島

ミロス島のアダマス港に浮かぶ漁船

2019年1月21日月曜日

小豆島霊場で島開き

  21日、香川県・小豆島にある小豆島霊場に春遍路シーズンの到来を告げる、「島開き」がありました。昭和39年、南海運(現在の両備フェリー)がフェリーを岡山~土庄港間に就航させ、大型バスでの巡拝ができるようになったことから、小豆島霊場会の本院が完成した翌年の昭和42年の島びらきから、港で団体のお遍路さんを出迎えて、本院までを練り歩くようになったのです。
  今年は、北西の風が吹く中、踊りや御詠歌に先導されて兵庫県から50年にわたりこの日に合わせて訪れる団体「但馬金剛弘徳会」や県内外のお遍路さん約80人が続く、合計約300人が練り歩きました。
 本院では、お遍路さんの巡拝を様々な形で支援する、宿泊施設や交通機関、観光関連業者などの人たちが、前日についた餅や、温かいそうめんでねぎらう「お接待」があり、遠来の人たちをおもてなししていました。
フェリーから降り立つお遍路さんを山伏や御詠歌が迎える


ご詠歌隊らが先導して本院を目指す

海辺を行く僧侶やお遍路さん

本院では山伏が遍路の到着を告げる

温かいそうめんの接待を受けるお遍路さん

和やかな接待風景

2019年1月19日土曜日


小豆島霊場開き(島開き)ことはじめ 2/2

1/2 より続き

 記録によると昭和33年、但馬金剛弘徳会(兵庫県・中島利之助会長)が小豆島霊場58番札所・西光寺で5回目の霊場開きに参加したとある。また、「島開き」の記述は35年に見られ、いずれも西光寺で営まれている。霊場開きは29年にこの寺で始められたと推察できる。故瀬尾哲命老僧は「当時は港でお遍路さんを出迎える行事はなく、それぞれにお遍路さんが集まって来ていた」と往時を振り返っていた。
小豆島の新年初の風物詩として親しまれている「島開き」は、昭和42年の総本院落慶と後に「両備海運」と社名変更(44年)する南備海運が、39年10月に岡山―土庄間でフェリー「おりんぴあ」を就航させたことで大型バスでの来島を可能にさせたことで姿を変えた。

現在、この日に合わせて上陸する兵庫県の但馬地方の団体を中心とする大勢の遍路を、小豆島観光の玄関口、土庄港で、僧侶や山伏、ご詠歌隊、お遍路さんの巡拝を支援する宿泊施設や交通機関などの霊場関係者が島の信者らと共に出迎え、さらに両者が一体となり200人を超える人たちが隊列を整え、大師の木像を先頭に同港から約1キロ南東の霊場総本院まで練り歩く姿になったのは昭和43年の霊場開きからだと考えられる。鈴の音を響かせながら練り歩くお遍路さん。
小豆島の春はこうしてお遍路さんの鈴の音とともにやってくる。
土庄港から上陸するお遍路さんたちを霊場関係者が出迎える

霊場開き法要が営まれる小豆島霊場本院

かつての小豆島霊場本院