2019年1月28日月曜日

ギリシャ・ミロス島から

小豆島と姉妹島提携している、ギリシャ・ミロス島から、友好使節団がやってきます。
一行は添乗員を含み36人。2月6日に到着し、高松市内で1泊した後、7~9日まで香川県の小豆島でホームステイや島内見物、地元の人たちとの交流を重ねます。
1989年の提携以来、相互に訪問をして交流を重ねている両島の関係は今年、30周年の節目の年を迎えます。小豆島からは2016年、中・高生13人がミロス島を訪問しています。今回はその時にお世話になった人たちの家族などを各家庭がホームステイ先として受け入れるなど、寒い時期ですが温かい交流が培われそうです。
ミロのビーナスが発見された島

ミロス島のアダマス港に浮かぶ漁船

2019年1月21日月曜日

小豆島霊場で島開き

  21日、香川県・小豆島にある小豆島霊場に春遍路シーズンの到来を告げる、「島開き」がありました。昭和39年、南海運(現在の両備フェリー)がフェリーを岡山~土庄港間に就航させ、大型バスでの巡拝ができるようになったことから、小豆島霊場会の本院が完成した翌年の昭和42年の島びらきから、港で団体のお遍路さんを出迎えて、本院までを練り歩くようになったのです。
  今年は、北西の風が吹く中、踊りや御詠歌に先導されて兵庫県から50年にわたりこの日に合わせて訪れる団体「但馬金剛弘徳会」や県内外のお遍路さん約80人が続く、合計約300人が練り歩きました。
 本院では、お遍路さんの巡拝を様々な形で支援する、宿泊施設や交通機関、観光関連業者などの人たちが、前日についた餅や、温かいそうめんでねぎらう「お接待」があり、遠来の人たちをおもてなししていました。
フェリーから降り立つお遍路さんを山伏や御詠歌が迎える


ご詠歌隊らが先導して本院を目指す

海辺を行く僧侶やお遍路さん

本院では山伏が遍路の到着を告げる

温かいそうめんの接待を受けるお遍路さん

和やかな接待風景

2019年1月19日土曜日


小豆島霊場開き(島開き)ことはじめ 2/2

1/2 より続き

 記録によると昭和33年、但馬金剛弘徳会(兵庫県・中島利之助会長)が小豆島霊場58番札所・西光寺で5回目の霊場開きに参加したとある。また、「島開き」の記述は35年に見られ、いずれも西光寺で営まれている。霊場開きは29年にこの寺で始められたと推察できる。故瀬尾哲命老僧は「当時は港でお遍路さんを出迎える行事はなく、それぞれにお遍路さんが集まって来ていた」と往時を振り返っていた。
小豆島の新年初の風物詩として親しまれている「島開き」は、昭和42年の総本院落慶と後に「両備海運」と社名変更(44年)する南備海運が、39年10月に岡山―土庄間でフェリー「おりんぴあ」を就航させたことで大型バスでの来島を可能にさせたことで姿を変えた。

現在、この日に合わせて上陸する兵庫県の但馬地方の団体を中心とする大勢の遍路を、小豆島観光の玄関口、土庄港で、僧侶や山伏、ご詠歌隊、お遍路さんの巡拝を支援する宿泊施設や交通機関などの霊場関係者が島の信者らと共に出迎え、さらに両者が一体となり200人を超える人たちが隊列を整え、大師の木像を先頭に同港から約1キロ南東の霊場総本院まで練り歩く姿になったのは昭和43年の霊場開きからだと考えられる。鈴の音を響かせながら練り歩くお遍路さん。
小豆島の春はこうしてお遍路さんの鈴の音とともにやってくる。
土庄港から上陸するお遍路さんたちを霊場関係者が出迎える

霊場開き法要が営まれる小豆島霊場本院

かつての小豆島霊場本院
 

2019年1月12日土曜日

自由律句の島 小豆島

小豆島は、自由律俳人、尾崎放哉の終焉の地です。大正14年8月、小豆島、土庄町に渡り、翌年4月に42歳で亡くなっています。漂泊する放哉の「静」に対し、放浪を繰り返した「動」の俳人、で自由律句の双璧とも称されるのが、種田山頭火です。山口県防府市が生誕の地で、防府駅を降りると、「ふるさとの水をのみ 水をあび」の句とともに銅像が立っています。また、生誕の地へ誘うように道標が建てられていて、道標に沿って歩くと目的地まで行けます。
 途中、「雨ふる故里ははだしであるく」の句碑が、戎神社の小さな公園に建っています。
ふるさと、防府を軸に全国各地を放浪した山頭火は、小豆島を訪れ40句の残しています。昭和14年、二度目の放哉の墓参の際に詠んだ句「その松の木ゆふ風ふきだした」と詠み、放哉の「咳をしても一人」とともに刻んだ句碑が、小豆島霊場58番札所・西光寺の境内に建てられています。
山頭火は、昭和15年、松山市の「一草庵」で58歳の生涯を閉じました。
防府駅近くにある山頭火像

雨ふる故里は はだしであるく

防府駅から始まる山頭火の径

道標に沿って山頭火を訪ねる

2019年1月11日金曜日

小豆島霊場、島開き事始め


小豆島霊場開き(島開き)ことはじめ
1/2

小豆島は、瀬戸内海で淡路島に次ぐ大きさを誇り、多島美で内外に知られ、周囲約150キロ、面積は約170平方キロメートルで琵琶湖の4分の1ほど。島民は豊かな自然を誇りにしている。というのも、小豆島を含む瀬戸内海地域は、わが国が昭和6年4月に制定した国立公園法により、同9年3月16日、「瀬戸内海国立公園」として国内初の指定地域となったことにほかならない。

島内は、山頂から美しい島々を見下ろし、切り立った崖やそそり立つ奇岩が群立する日本三大渓谷美とも称される「寒霞渓」をはじめとする見事な自然の造形美に恵まれ、その美しさを求めて小豆島を訪れる観光客は、年間約百十万人といわれる。

さらに、観光小豆島をもう一方で担うのが、小豆島霊場を巡拝するお遍路さんだ。  小豆島霊場は、都と讃岐を行き来する弘法大師が、小豆島に立ち寄り、修行した行場が霊場となり今日に伝わっているという。さらに、関ケ原の合戦から約90年後の貞享年間には、現在の霊場の形が整ったといわれ、「小豆島八十八ケ所霊場」は、30の寺院をはじめ、堂や庵が52カ所、山岳霊場12カ所、番外を合わせて94の札所から成っている。全工程を歩けば163キロある。

大正12(1913年)、小豆島霊場会が設立された。小豆郡の保護により郡役所内に設立され、宝生院、福原常観住職を初代会長とした。現在は、昭和41(1967年)に再建された霊場会総本院に霊場会事務所が置かれている。 
新しい年が明けると、初参りや寒参りの遍路たちを見かけるが、なんといっても正月21日、弘法大師の命日に因んで小豆島霊場総本院(土庄町)で営まれる「霊場開白法要」がメーンの行事だ。
2/2へ続く(近日公開)

小豆島霊場の開闢供養(霊場開き)に参拝するお遍路さんたち



島開きに訪れたお遍路さんを餅をついて接待
お遍路さんの鈴の音が小豆島に春を告げる